施設長コラム「つれづれ草」

つれづれ草

●令和4年12月

 性善説と性悪説、人それぞれ意見の分かれるところだが、私は従来性善説を信じてきた。私たち弱い人類が地球の覇者となり得たのは、知能の高さもあるが、お互いを慈しみ許しあう心があったからだと思っている。しかしその一方で、モーゼの十戒のように私たちの社会は戒律が無ければ秩序が失われ、混沌とした世界になってしまうだろう。ロシアのウクライナ侵攻などその例は枚挙に暇ないが、その背景には先に攻撃しないと相手に滅ぼされてしまうといった過剰な不安心理があるように思える。日米開戦前米国との戦争を回避し和平を模索する近衛文麿首相に対し東条英機は「たとえ和平が成立しても2,3年のみのことだ。その間に米国は軍備を完成し、日本に戦争を仕向けてくる。今しか勝つ見込みはない」と言って彼の提案を払いのけたという。
 不安心理と同様に権力も良し悪しの判断を誤らせそうだ。ジョン・アクトンは「権力は腐敗する」と言ったが、権力を持ったが故に善悪の見定めを失う者が多数いる。イエスは処刑される前に「父よ。彼らをお許し下さい。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」と祈りを捧げた。私にそこまでの度量は無いし、彼等の行動や社会の流れを見ていると性悪説も捨てがたく思えてくる。
施設長 井 上 節

●令和4年11月

 ここ数年、女性や小中高校生の自殺者数が増えている。背景の一つにコロナの感染拡大で雇用の場を奪われたり、人との接触機会が減ったりしたことがあるという。国はその対策として、子ども対策では学校や児童相談所などでのチーム対応の仕組づくり、女性では非正規雇用者やフリーランスなどへの支援強化や相談事情を進めている。 ある臨床心理士は、自殺願望を持つ青年とのやり取りで「君がいなくなると私は寂しいな」と語りかけると自殺を留まるケースがあると語っていた。外国の話だが、回復の見込みが薄い長い闘病生活に疲れた女性が安楽死を求めたのに対し医療スタッフは説得を重ねて延命治療を続けた。そこで彼女は裁判に訴えた。判決では女性の主張が認められ、延命装置を外すこととなったが彼女は死を選ばなかった。「私は今まで、私の存在についてこれほど真剣に向き合って貰ったことは無かった。裁判を通して私もかけがえのない一人なのだと知ったら死ぬ気は消えてしまいました」と彼女は語ったという。
 例え悲惨な状況や孤独な環境にあっても心のどこかには自己の存在を認めて貰いたいと思っているのが私たち人間ではないだろうか。そんな心情に触れるアプローチは自殺防止にも役立つのではないだろうか。
施設長 井 上 節

●令和4年10月

 9月のある日曜日、私は以前から一度訪れてみたいと思っていた忠生公園まで歩いた。片道約8キロの道端には、そこかしこにキバナコスモスが咲いていた。歩き始めて暫くすると、40代の頃、友人等4人で富士山に登った記憶が蘇った。私たちは誰一人山登りの経験はなかった。時期は10月1日快晴の中、歩き始めた5合目から眺める頂上は目の先に見え、手を伸ばせば届きそうに思えた。しかし軽快な足取りも馬返しの7合目を過ぎると急傾配となりだんだん息遣いも荒くなっていった。山小屋は既に閉鎖していて、あてにしていた飲料水を手に出来なかった。疲れ果てた私たちは9合目を前にしてやむなく登頂をあきらめた。喘ぎながら5合目まで戻ると一人の馬子が馬上の客に私たち一行を指さして「夏と違ってこの時期に登山するグループは皆専門家です」と語っていた。素人の出で立ちの私たちは慌ててその場を離れた。
 さて忠生公園は自然に溢れていて、水の流れを辿っていくと田園があった。そこでは収穫を間近にした稲穂が風に靡いていた。私は小一時間程、重くなった足を引きずって園内をゆっくり散策した。約5時間の行程だったが、忘れていた過去の一コマを呼び起こすきっかけとなりとても有意義な一日となった。
施設長 井 上 節

●令和4年9月

 8月もお盆過ぎた頃、出勤して仕事場の窓を開けると冷気が肌を通り抜けていった。昨日までの猛暑がうそのようだった。私は思わずサンダルを履き玄関先に出てみた。空を見上げると青空のそこかしこに秋の訪れを告げる刷毛を滑らせたような白い雲の一団があった。そして深緑の木々の間からミンミンゼミの鳴き声漏れてきた。
 この光景は私をはるか昔の世界へといざなっていった。今から40年以上前、私たち家族は毎年夏休みになると子供を連れて義父が建てた蓼科の別荘を訪れた。別荘は山の中腹より高台にあった。澄み切った空気はひんやりとしていた。夜になると夏にもかかわらずストーブで暖をとった。住まいから見下ろす牧場には牛が放牧されていた。牛たちを眺めていると日常とはかけ離れた時間がゆったりと過ぎていき、時折眼下に沸いた雲海が視界を遮りながら流れていった。ニッコウキスゲの咲き乱れる山肌を飛び交う赤とんぼは手を差し出すと指先に停まり羽を休めた。古い写真はセピア色に変色するが心に浮かぶ昔の情景は時を経る程に鮮明さを増してくる。そうした思い出が人生の終盤を迎えた者にとっては何事にも代えがたい貴重な財産の一つなのかも知れない。
施設長 井 上 節

●令和4年8月

 私は最近寝る前の一時、NHKの聴きのがしサービスを楽しく愛聴している。睡眠薬にも似た効果があって、気が付くと寝入ってしまっていることが多いが、教養番組の「歴史再発見」は眠気を堪えて聞き入っている。4月から6月にかけては鎌倉幕府を支えた御家人たちの権力闘争や幕府と朝廷との力関係更には蒙古襲来の史実などを取り上げていた。いずれも高校時代に習ったレベルをはるかに超えていて、初めて知ることが多々あった。
 また「科学と人間」で取り上げられた「合成染料発明の経緯」は興味深い内容だった。今から約270年前、パーキンはたまたまコールタールから合成染料の抽出に成功した。天然染料は高価で原料の多くは植民地から供給されていた。イギリスに比べ供給源が乏しい国々は安価な合成染料の開発を目指して研究を積み重ねた。そしてその研究は抗菌剤等医薬品への開発を始めとする幅広い化学分野の発展へと繋がっていった。
 今回、聴き始めた番組のお蔭で持ち合わせの知識がいかに少ないか又通り一遍であるかを知ることとなった。そしてこの番組は歳を忘れて新しい知識を得る楽しさを教えてくれる貴重な存在にもなっている。
施設長 井 上 節

●令和4年7月

後期高齢者の仲間入りをした私は最近「自立」と「時間」について考えることがある。私は眼鏡や補聴器のおかげで人並な生活が出来ているし何種類かの薬の世話にもなっている。又携帯電話、パソコン、車等が日々の生活に溶け込んでいるが、一端故障したら自分では対応できない。更に知識や情報の取得には新聞や書物の力を借りているし、食物だって自ら作り出すことはできない。数え上げたらきりがない。まさしく私の自立した生活はそのほとんどが依存によって成り立っていると言えそうだ。
一方、私に残された時間は限られている。有効に使わなければもったいない。しかし「言うはやすく行うが難し」の格言どおり日々の生活では無為な時間を多々過ごしている。そうした中で私は「嫌な人のことは考えない」よう心がけている。今まで生きてきた中で絶対許せない人がいる。しかしそのことに心を割くのは、貴重な時間を嫌な人の為に使うことになりもったいないと考えている。依存できる環境を与えられたことに感謝しながら無駄な時間を排除して少しでも自律した生活を送れたらと願っている。
施設長 井 上 節

●令和4年6月

5月に入り後期高齢者の仲間入りを目前に控えた私を待ち構えていたのは運転免許証の更新だった。免許証を手にするには認知症検査に始まって、夜間視力や動体視力の検査等今までにはない手順が求められた。そして免許更新後もスピード違反や一時停止違反をすると、その度に認知症検査を受ける必要があるという。
又、株式購入に当たっては、金融庁の指示により健康状態のチェックや意思の確認のために聞き取り調査を求められるという。そして銀行員の勧めに従い行ったアプリの導入では、途中で「75歳以上の方は直接窓口にご相談下さい」との画面になってしまった。これらの行為はもはや一人前の大人としてみなされず、老いに追い込まれていくとともに、意に沿った生き方を否定されてるに等しいようにも思えた。
ここ数年男らしく、女らしくって何だろうという疑問から「社会的性差にとらわれず、個性、個人差に着目し自分らしく生きること」を目指したジェンダーフリーの概念が人々の関心を集めている。一方年代にとらわれないジェネレーションフリーといった言葉も存在するが、高齢者に対する画一的な対応がその浸透を阻害することはないだろうか。勿論高齢者の身体的な衰えへの対応が必要なことはいうまでもないが。
施設長 井 上 節

●令和4年5月

桜が春の訪れを告げる樹木ならつつじは初夏を告げる案内役かも知れない。今、我が家の狭い庭先を真っ赤に染まった「きりしまつつじ」が占領している。そして新緑の葉で覆われた旭ヶ丘老人ホームの裏山からは鶯の囀りが漏れてくる。私は柔らかな日差しを素肌に浴びながらそこかしこに生命の息吹を感じるこの季節の訪れを毎年楽しみにしている。しかし今年はいつもと違っていた。咲き誇っていたつつじの花びらが春冷えの中雨に打たれて生気を失っていく様は、後期高齢者の仲間入りを間近に控えた自らの姿を現しているように見えた。そしてこの先後何年こうした初夏の光景に触れあうことができるだろうかと感傷的な気持ちになった。
そんな気持ちに浸っていると学生時代教わった正岡子規の「いちはつの花先出でて我が目には今年ばかりの春行かんとす」という歌が浮かんできた。当時不治の病とされていた結核に罹患し、35歳の若さで病死した子規がこの歌を詠んだ心情はいかばかりだったろうか。60年前の私には想像すらできなかったが、今なら少し彼の気持ちに寄り添えるような気がする。それは私が成長したからだろうか。否ただ単に私が死を間近に感じる年齢になったからだけなのかも知れない。
施設長 井 上 節

●令和4年4月

75歳の誕生日直前に受けた健康診断の結果は血圧や肝機能等に危険信号を示していた。その数値は今までの生活を反映していた。若い頃からあまり気にせず健康に過ごしてこれたのは遺伝子のお蔭かも知れない。又大きな災害に遭わず過ごせてこれたのは単に偶然だけだったかも知れない。一方世の中には、難病に罹患したり自然災害や紛争に巻き込まれ命を落とす人が数多くいる。そうした人々を見ていると神様は本当にいるのだろうかと疑問を持つと同時に言いようのない不条理を感じてしまう。
さて、吉田兼好の徒然草の中に「人皆生を楽しまざるは死を恐れざる故なり。死をおそれざるにはあらず、死の近きことを忘るゝなり」という一節があるが、私は『誰も死を逃れることはできない。だから生きている時間を大切にしなければいけない。」と解釈している。幸せの定義は数多くあるが、自身を振り返り、感謝の心を持って死に臨むことができたら、幸せな人生だったといえるのではないだろうか。感謝の気持ちが広がれば平和な社会を築けるかも知れない。そうすることが、不幸にして道半ばで命を奪われてしまった人々に少しでも報いることになれば良いなと思っている。
施設長 井 上 節

●令和4年3月

この津久井では、今年に入って2回ほど雪に見舞われたが、その降雪量は以前に比べ少なかった。少なからず温暖化が影響しているのだろうか。
冷害による飢饉を憂いた宮沢賢治は、ある作品の中でその解決策として「火山の爆発」を取り上げている。彼は火山を爆発させれば、発生した二酸化炭素が地球を覆うことで地球の温度が上昇するのではないかと考えた。勿論童話の中の話で、彼のユニークな発想に驚かされるが、温暖化は良いことだけではない。ここ数年の日本海側の大雪やゲリラ豪雨また、世界各地の異常気象や森林火災等も温暖化がもたらした現象だろう。
昨年「気象変動に関する政府間パネル」(国連の一組織)は「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させることに疑う余地がない。最近の気象変動の規模は何世紀も何千年もの間、前例のなかったものである」と警告している。気づかなくても環境は日々変化している。未来の人達の為に我々はなにをすべきか。場所や時代を異にする人を大事にすると同時に自然環境も大事にする。それが共生社会の形成に繋がっていくのではないだろうか。
施設長 井 上 節

●令和4年2月

 時代の推移や変化とともに価値観に違いが生じて来ることは多々あるが、このことは企業の評価についても言えそうだ。日本が経済成長を遂げていた頃、無借金経営が高い評価を得た時代があった。しかし現在では無借金経営は消極的な経営で、資金を積極的に借り入れ業績の拡大や発展に前向きな企業が評価されることもある。借入金の多さは、経営不安ではなく社会から信頼されている証の一つと考えれば納得がいかないでもない。
 さて、特別養護老人ホームの国の職員配置基準では利用者と介護職員の割合を最低3対1にするよう求めている。しかしこの配置基準では人手が足りず事故にもつながる恐れがある。そこで当施設では配置基準以上の職員を雇用し、手厚い介護やストレスからくる虐待の防止等質の高い介護の提供を目指している。しかし最近の情報によれば、国は配置基準を4対1に見直す動きを見せているという。確かにロボットの活用等により可能かも知れない。社会保障費の削減にも繋がるだろう。しかしその一方で経営効率を優先することで福祉の本質が失われてしまうのではないかと危惧している。
施設長 井 上 節

●令和4年1月

師走の街を歩いていると隣から宮沢 賢治の詩の一節が聞こえてきた。口ずさんでいたのは10歳位の娘で、母親と歩きながら諳(そら)んじていた。私はその親子連れと歩幅を合わせ、「雨にも負けず、風にも負けず・・・・東に病気の子供あれば行って看病してやり 西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い・・・・」といったフレーズを聞き続けた。娘は母親の相槌に合わせながら最後の「さういうものにわたしはなりたい」とまで詠い上げた。聞き終えると私は追憶の世界にいた。
幼い頃、この詩にふれた私は「私もいつかそういう者になりたい」と漠然と思った。
しかし、いつしか年月を重ねるうちに詩はおろか、その思いも忘れていた。
でも心の奥底には、その思いが流れ続けていて、今の私を形造る要素の一つになっているようにも思えた。
これは今から13年前の私の作品である。今師走の街を行きかう人は皆マスクを着けていて会話も笑い声も聞こえてこない。そんな矢先に大阪でビル放火事件が起きた。令和4年は是非一人ひとりが他人を大事に思う気持ちで満たされた社会になって欲しいものである。
施設長 井 上 節
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