施設長コラム「つれづれ草」(平成20年)

●平成20年12月

 今年も11月半ばを過ぎ、朝晩の冷え込みに冬の気配を感じるようになった。そして例年どおりホームを囲む木々の葉も日毎に色づきを深めてきた。こうした四季の変化に富んだ季節の繰り返しのお陰で私達は生活のリズムを得ることができる。
 そんな思いで、遠くの山並みを眺めているうちに「紅葉はどうして起きるのか」ふと疑問に思った。調べてみると、クロロフィル(葉緑素)とアントシアニンという葉に含まれる2種類の色素バランスの変化にあるとのことであった。
 光合成に関与するクロロフィルは、春から夏にかけて盛んに作られるが、冬になり日光が弱まると、効率の悪さから作られなくなる。そしてカエデ、ツタ等一部の植物は葉を落とす前にアントシアニンという色素を作りだし、葉は美しい赤色に染まるのだが、この色素を作り始める理由はまだはっきりわかっていないとのことである。

●平成20年11月

 1989年に起きたベルリンの壁の崩壊と前後して、その後の10年ばかりの間にいくつかの共産主義国家は変革を余儀なくされた。その中には共産主義体制は維持しつつも、民主化を進めると共に市場原理の導入を進めた国もあった。
 共産主義の理念である「公平な社会」の実現は、人類にとって理想の社会であることは間違いない。しかしその実現を人間の手に委ねざるを得ない所に大きな問題があった。実際、過去の国家生成、衰退の歴史を振り返れば人間の限界をいたるところに見つけることができる。
 一方、国民の意思に基づき豊かな社会の形成を目指す資本主義国家も、公的資金を用いて市場経済への介入を行う等一部に社会主義化を模索する動きがある。この事はアダムスミスの言う「見えざる手」は機能し得ない事を改めて知る結果となった。冷戦後の二つの体制それぞれにほころびが生じた今、私達はこの先どこを目指していくべきなのだろうか。

●平成20年10月

 鶯(うぐいす)が春先から7月ごろまでさえずっていたのは例年通りだったのかも知れない。しかしその後の季節の変化は少し変わっていた。例年なら鶯の鳴き声に変わって聞こえる蝉の声が何故か今年は少なかった。また8月10日、早朝の空に薄く伸びた箒雲(ほうきぐも)を見た。私は早い秋の訪れを感じた。事実オリンピックが終了した頃から肌寒い日が続いた。
 しかし、予想は当たらなかった。一転してその後2週間程、不安定な大気の状態は、雷鳴を伴った集中豪雨を各地にもたらした。身近な地域でもがけ崩れがあった。その激しさは「ノアの箱舟」をも連想する程だった。
 9月の中旬を迎えると、ようやく季節は落ち着きを取り戻した。秋の日差しの中に忘れていた蝉の声が溶け込んでいた。不自然な季節の流れに妙な不安を感じる日々が続いていたが、蝉の声を聞いて何故か心が安らぐ思いがした。

●平成20年9月

 今から12年程前の夏、家族4人で山梨県の昇仙峡を訪れた。娘も20歳、息子も高校生となり一緒に旅行するのも最後のように思えた。二人が人生を振り返る年になった時、この家族旅行がなつかしい思いでになればいいなと考えた。私自身、子供の頃両親に連れられこの地を訪れたことがあった。その時の記憶を蘇らせようと本棚の隅に追いやられていたアルバムから当時の写真を拾い出した。
 そして現実に目にした昇仙峡は40年前のままだった。
 川の流れを見下ろすようにそびえる岸壁も、激しい流れの中に居座る大石も何一つ変わっていなかった。自然にとっての40年は、私達人間が考えるより比較にならない程短いものなのだと感じた。
 たくさんの旅行者がいた。私もその一員となり、流れにまかせて歩道橋を歩いた。二人の子供もいつの日か、今の私と同じ気持ちで、彼等の子供とこの地を訪ねてほしいなと思いながら無言で歩いた。

●平成20年8月

 小学校3年の時、大学出たての美しい先生が担任となった。先生はその1年前、隣の学校に赴任されたが、すぐに同僚の先生と結婚し私達の学校に転任されてきた。
 群馬県の山間で育った先生は、生徒と接する時間を大切にし、小さい頃の山での生活ぶりや、澄み切った空に広がる星の美しさ等を瞳を輝かせながら話して下さった。
 海辺近くに住む私達には、そうした話がとても新鮮だった。
 あるとき何人かの生徒が授業中不正をしたことがあった。すると先生は「どうして人の信頼を裏切るようなことをするのですか。私はあなた方を信じているのですよ。」と目を真っ赤にして泣きながら訴えた。私達は黙ってうつむいているだけだったが、<人を信じること、信頼される事>が生きていく上でどんなに大事かということをこの時教えられたような気がしている。そしてこの先生と出会えた事を今でもうれしく思っている。

●平成20年7月

 株式投資の盛んなアメリカでは、専門機関に運用を委ねる投資信託も人気があるという。購入者は、証券会社が予め運用方針を示した商品の中から、自分の好みにあったものを選ぶのだが、最近今までとは異なった視点で選ぶ人が増えているという。
 すなわち、値上がりを第一の目的とせず、「どうせ自分のお金を投資するなら、社会に役立てたい。」と、コストはかかっても環境に配慮した商品開発に努めたり、売上の一部を慈善事業に寄付している会社の株を組み込んだ商品が注目を集めているという。こうした会社は株主のため利潤追求を主眼とする資本主義の原点からは矛盾していそうに思えるが、投資信託の購入者のみならず広く国民の支持を得て、業績も好調だという。人々の意識の変化が社会全体の価値観に変化をもたらし、その結果が共生社会に結びつくならとても嬉しいことである。

●平成20年6月

 ゴールデンウイークに家族等4人で高尾山に登った。時折霧雨が降り、この時期にしては肌寒い一日だった。2時間足らずで頂上に着くことができた。山歩きが楽しめる程のコースだが、視界の悪さもあってか、この路(みち)もまた全て山の中にあるように思えた。
 古くから山岳信仰の霊場として栄えた高尾山は、戦国時代になると築城などの用材供給地として重宝され、沢山の杉が伐採されたという。
 山の中腹、薬王院の近くに「蛸杉(たこすぎ)」と呼ばれる樹齢450年の杉がある。
 現在は直径6メートル程の巨木であるが、当時はまだ幹も細く、伐採の対象とはならなかったのだろう。今日まで幾多の嵐にも遭遇してきたことだろう。そうした難を乗り越えて生きる術をこの杉は備えているのだろうか。問いかければ何か教えてくれそうな、そんな思いにかられた「たこ杉」との出会いであった。

●平成20年5月

 先日、高校卒業後40年を経て、全校生徒による同窓会が藤沢で開催された。
 町田に住む私は、小田急線で藤沢駅に向かった。駅に着くと肌を横切る風にわずかに海の香りを感じた。その香りに乗って青春時代のなつかしい思い出がいくつか脳裏に浮かんだ。ほろ苦い思い出もあった。
 会場は多くの人で溢れていた。80歳を超えてなお元気な恩師の姿もあった。いつしか吸い込まれるように旧友達の話しの輪に加わっていた。会話を交わすうちに忘れていた記憶を呼び戻すことができた。それぞれの顔にそれぞれの人生があった。しきりに名刺を配る者がいた。既に仕事をリタイアした者もいた。また今後の人生の夢を語る者もいた。生きている間、時間は誰にも等しく流れるが、その受け止め方や使い方によって大きな違いが現れる。自分自身の過ぎ去った時間を振り返り、少しばかり感傷的になった一日だった。

●平成20年4月

 「直感は過(あやま)たない。過(あやま)つのは判断である。」これは学生時代、偶然手にした麻雀の指導書の中にあった一節である。そこに書かれていたのは麻雀ゲームで捨牌に困ったと時の対処の仕方についての話であるが、その後私にとっては、大変的(まと)を得た座右の銘にも似たものとなっている。
 日ごろ生活していると、咄嗟に判断しなければいけない事に出くわし、決断に迷う時がある。そうした際には、過去に体験した類似の例が瞬時に脳裏を駆け巡り、その時々の良し悪しをヒントに答えを導き出すのだろうと私は考えている。即ち直感とはいいかげんなものではなく、過去の経験の積み重ねによるもので、過去の経験を活かす事によって始めて正しい判断ができるのではないだろうか。だが加齢とともに記憶力に翳(かげ)りが訪れると、次第に直感力も失われていってしまいそうである。

●平成20年3月

 先日奇妙な夢をみた。
 エスカレーターを乗り継いで上へ上へと昇っていった。やがて頂上に辿り着き、外気にふれた。そこは薄暗い世界で、人影もなく寒々としていた。言い知れぬ不気味さを感じた。右手前方にぼんやりとした明かりが見えた。
 明かりを目指し、曲がりくねった道を進むと程なく崖の端についた。その先の荒涼とした山肌に明かりが点在していた。その明かりは、家の窓からこぼれる灯りのようにも、「ろうそく」の炎のようにも見えた。怨霊が渦巻いているようだった。私は怖さをこらえ今来た道を引替えした。やっとの思いで下りのエスカレーターに乗ったところで目が覚めた。そして再び眠りについた私はまた同じ夢を見てしまった。今度は話しを交わす同伴者がいた。この夢の少し前友人の奥さんが急死し、私は葬儀に参加した。夢に出てきた世界は何だったのだろうか。

●平成20年2月

 ギリシャの哲学者ソクラテスの有名な言葉に「無知の知」がある。
 賢さの根拠を尋ねられた彼は「私は特別賢いわけではありません。ただ他の人と違っているとしたら、自分自身は何も知らないし、知っているとも思わない。自分が知らないということを知っているだけです。」と答えたとのことであった。
 さて、あるジャーナリストによれば、イラク戦争以降のアメリカの三大政策は、(1)社会保障費の削減 (2)個人情報の一元化 (3)民営化の促進で、その結果貧困層が増大しているとのこと、またメディア操作が行われたり、この格差社会を利用して国の政策が巧みに進められているとのことであった。
 最近の日本をみていると、他人事とは思えないし、果たして私自身、日本の現状を知っているつもりでも、本当は何も知らないのではないかと不安になってしまった。

●平成20年1月

 師走の街を歩いていると隣から宮沢 賢治の詩の一節が聞こえてきた。
 口ずさんでいたのは10歳位の娘で、母親と歩きながら諳(そら)んじていた。私はその親子連れと歩幅を合わせ、「雨にも負けず、風にも負けず・・・・東に病気の子供あれば行って看病してやり 西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い・・・・」といったフレーズを聞き続けた。娘は母親の相槌に合わせながら最後の「さういうものにわたしはなりたい」とまで詠い上げた。聞き終えると私は追憶の世界にいた。
 幼い頃、この詩にふれた私は「私もいつかそういう者になりたい」と漠然と思った。しかし、いつしか年月を重ねるうちに詩はおろか、その思いも忘れていた。でも心の奥底には、その思いが流れ続けていて、今の私を形造る要素の一つになっているようにも思えた。
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